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特命教授コラム

 
教育のキャリア効果を考える
東京工業高等専門学校 特命教授 矢野眞和
2015.11.15


▋教育とキャリアの関係

 10月19日に「高専卒業生キャリア調査」の中間報告会を開催し、「高専研究」グループによる調査分析報告と8人の高専卒業生によるパネルディスカッションを行なった。研究報告をした三人は、教育社会学の高等教育研究者だが、高専教育に直接携わってきたわけではない。とくに私は、いままで高専に関与した経験を全くもたない門外漢である。しかし、高等教育関係の調査研究に長く関わってきた経験を踏まえて、高専版のキャリア調査を設計・分析すれば、岡目八目の利点を発揮できるかもしれないし、世界的に高く評価されているKOSEN教育に学ぶところも多いだろうと考えて、特命教授を引き受けた。
 今回の私の報告の目的は、高専の教育と学生の学び方が、卒業生のキャリアにどのような効果を与えているかを明らかにすることだった。平凡な問いだと思われるかもしれないが、学生たちの就職=採用の場面だけに世間の関心が集中し、高等教育と就職後のキャリアとの関係はほとんど分かっていないのが日本の実情である。なにしろ、日本の企業の人事課は大学教育の専門知識に関心がないと公言してきたし、学生たちも学業成績を二の次にして、就活に励んできた。それで特段に困ることはなかった。とくに文科系の世界では、専門教育は会社の仕事に無関係で、役に立たないものだと思い込まれている。そうした通念に挑戦した経済学者の研究によると、「学校時代の英語力が将来の所得を上昇させていること」「学業成績が卒業後の人生に有意にプラスの影響を与えていること」などが明らかにされている(松繁敏和編著『大学教育効果の実証分析-ある国立大学卒業生たちのその後』日本評論社2004年)。また経済学部卒業生のキャリアを調査した浦坂たちは、基礎的な数学力を身につけたものが、大学教育においても高い学業成績をあげ、それらの相乗効果によって、より高い所得を獲得し、転職時でも有利な条件に恵まれていると報告している(浦坂純子ほか「数学学習と大学教育・所得・昇進-経済学部出身者の大学教育とキャリア形成に関する実態調査にもとづく実証分析-」『日本経済研究』46号2002年)。
 文系に比べれば、工学の専門知識がキャリア形成に不可欠な要件になっているのは間違いないだろう。しかし、エンジニア教育のあり方に関する研究は膨大な数にのぼるが、その教育がキャリアにどのような影響を与えているかについての調査研究はほとんどない。高等専門学校については、卒業生を対象にした本格的な調査として、日本労働研究機構(現(独)労働政策研究・研修機構)による『高専卒業者のキャリアと高専教育』(1998年)があるだけである。
 教育とキャリアの関係は、教育政策を構想する上で欠かせない基礎的情報だが、その基礎的な研究作業があまりにも少なすぎる。まずは現状を把握する情報を提供するだけでも価値があるだろうと考えて、「高専卒業生キャリア調査」を実施した。


▋教育のアウトプット:学業成績・学校満足・汎用能力

 教育とキャリアの関係といっても、扱うべき対象の範囲は非常に広い。研究のアプローチも専門によって異なる。たとえば、社会学者は職業キャリアの変化や地理的移動に主たる関心があり、経済学者は仕事に対する市場の評価に関心を向ける。私たちの「高専研究」プロジェクトでは、なるべく広い範囲を対象に、多様なアプローチを検証するつもりである。
 中間報告会の内容は、まだ中間にも至っていない段階だが、その一端を紹介するために、焦点を教育のアウトプットに絞った。二つのアウトプットがある。卒業時のアチーブメント(学力)と満足度である。あまりにも絞りすぎだと思われるかもしれないが、学校教育にとって最も大事なのは、この二つである。子どもをもつ親の気持ちになって考えてほしい。彼/彼女たちが望んでいるのは、「学年にふさわしい学力を身につけてほしい」と「学校で楽しくすごしてほしい」、この二つである。この二つが満たされれば、学校教育に対する不満はほとんどないだろう。逆に、二つのうちの一つでも不安になれば、つまり、学力低下やいじめが問題になれば、大騒ぎになる。わが子でなくても、「学力といじめ」が教育問題の二大関心事である。二つのアウトプットを健全な水準に維持することが教育する側の義務だといえる。それは、小中学校でも、高専でも、大学でも基本的に同じである。
 今回の調査では、アチーブメントの一つとして、高専時代の「学業成績」を5段階で回答してもらった。卒業生の記憶による自己評価である。満足度は、「非常に満足~非常に不満」の4段階。そして、いまひとつのアチーブメント指標として、卒業時に「次のような力」を身につけていたと思うかどうかを5段階(十分身についていた~まったく身についてなかった)で質問した。
  1. 1)自分の手を動かす実験などから問題の本質をつかむ力
  2. 2)自分自身で考えながらものづくりをする力
  3. 3)他の人と協働する力
  4. 4)新たなアイディアや解決策を見つけ出す力
  5. 5)プレゼンテーション能力
 高専本科卒業時にこれらの力が身についていると回答した人の割合は半分近くになる。かなり自信のある回答ではないだろうか。この5項目の平均点を汎用能力とよぶことにした。
 学業成績、満足度、汎用能力の三つがともに高い卒業生は、かなり充実した5年間をすごしたといえるが、人によってアウトプットのレベルは多様である。とりあえず、この三つに焦点を絞ると次に二つの問いが浮かぶ。一つは、どのような態度で学習しているとアウトプットが大きくなるか、である。つまり、アウトプットを規定する要因の分析である。いまひとつの問いは、アウトプットの大小によって、卒業後のキャリアに違いが生じるかどうかである。現在の到達キャリアを測る方法として三つ考えられる。①市場の評価(年収)、②組織の評価(職位)、③個人の評価(仕事に対する満足度)である。したがって、学業成績が高いほど所得は高いといえるのか、職位(役職)が高いか、本人の仕事満足度は高いか、という問いになる。これが、アウトプットからみた教育とキャリアの関係である。


▋アウトプットを規定する要因

 ここでは、前者の問いについての分析結果を紹介しておこう。学習に対する態度に関連するいくつかの変数を選んで、アウトプットに影響する要因を重回帰分析によって探索した。その結果を簡単にまとめたのが下表である。三つのアウトプットのいずれかに影響を与えている変数は22変数だが、影響の与え方は一様でなく、アウトプットの種類によって大きく異なっているところが面白い。表には、プラスの効果を与えている変数に○、マイナスの効果に×、影響していない無関係な変数は空欄になっている。



 学業成績と学校満足度の欄を比較すれば分かるように、両者が影響を受ける要因は大きく異なっている。学業成績が高い人は、専門科目・理数系一般教育科目・卒業研究・語学に熱心に取り組んでおり、工場実習インターンシップには熱心ではない。ロボットや機械いじりが好きというわけではなく、中学校時代の成績はよく、本科卒業後の進学希望者が多い。その一方で、学校満足度は、授業科目の熱心度に関係はないが、サークル活動に熱心である。しかし、勉強をしないわけではなく、ワクワクする授業科目には熱心であり、「きめ細かい個人指導」「よい教師とのめぐりあい」「よい友人とのめぐりあい」に恵まれたと感じている。そして満足度は、高専に入学する前の特性に関係がない。
 さらに、汎用能力の規定要因は、学業成績とも満足度とも異なっている。中学校時代からのロボット機械好きで、講義科目よりも、実験実習と卒業研究に熱心であり、工場実習インターンシップ、および部活サークルも好きである。読書する人が多く、学校満足度と同様に「きめ細かい個人指導」「よい教師とのめぐりあい」「よい友人とのめぐりあい」に恵まれたと感じている。学業成績と満足度の二つを横断する要因が汎用能力を規定している。
 学生は、入学前の特性も、学習への関心、カリキュラムへの興味も異なり、多種多様である。学習成果の指標も多様である。三つのアウトプットはその一部を剥ぎ取った断面にすぎない。多種多様な学生が、それぞれの興味関心に応じて、たくさんなカリキュラムから多様な刺激を受け、自由に取捨選択している。この多様性が教育の現場である。ある勉強法を選択すれば、誰でもある能力が身につく、という固い因果関係が存在しているわけではない。表の調査結果は、多様な高専教育のカリキュラムと豊かな共同体教育が、多種多様な学生たちのアウトプットに良好な影響を確実に与えている証である。非常に興味深い結果だと思う。


▋認知スキルと非認知スキルは対立するわけではない

 ところで最近は、「学力」に対する評価が大きく揺らいでいる。学力の高低で人を評価するのは非人間的だという議論はいつも根強く続いているが、それだけではない。将来のキャリアに大きな効果をもたらすのは、学力のような認知スキルではなく、非認知スキルだという説が話題になっている。非認知スキルというのは、やりぬく力、協調性、社交性、意欲、勤勉性、自制心、自己効力感、思いやり、信頼などといった言葉で語られるものである。一時はやった人間力のようなものだろう。
 覚える力(学力テスト)よりも考える力が大事であり、考える力を測らなければならない、という入試改革が登場するのも、同じ土俵の議論だと思われる。しかし、認知スキルと非認知スキルを対立的に捉えるのは混乱をもたらすだけだろう。人間が生きていくために必要な能力は認知スキルだけではないのは確かだが、二つのスキルは大きく、しかも曖昧に重なっている。対立関係ではなく、曖昧な包含関係として理解しておくことが重要だと思う。


▋認知スキルの学習成果:勤勉性・協調性・自己効力感

  三つのアウトプットを規定している要因の分析に続いて、アウトプットとキャリアの関係を分析しているうちに、思い出したのが認知スキル/非認知スキルの対立的議論だった。私たちの分析によれば、学業成績の高い人ほど卒業後の所得が高い傾向にある。しかし、学校で学んだ知識が直接的に役立って仕事の生産性をあげているとは考えにくい。技術変化の激しい時代である。学校で勉強した知識がそのままに役に立つはずはない。それでも学業成績のよい人ほど所得が高いという傾向は統計的に否定できない。なぜか。学校時代の知識の直接的な効果だと考えるから妙なことになる。学校時代の学習態度が現在の仕事に関連する学習態度に引き継がれていると考えるのが自然だろう。授業科目への熱心な取り組みが、仕事に必要な知識に対する熱心な学習として現れる。このように考えると、非認知スキルとの連続性が浮かんでくる。学業成績の向上と一体になっているのは、「勤勉性」ではないか。勤勉性という非認知スキルが、学業成績と所得の二つの向上をもたらしている。学業成績という認知スキルは、勤勉性という非認知スキルとともにある。この共存が、学びとキャリアの関係を構成している。
 このように考えると、学校時代の教育的な人間関係に規定されていた学校満足度は、非認知スキルに含まれる「協調性」に近い。学校満足は、所得の向上よりも、組織の評価である職位の向上(昇進)に有意な影響を与えている。こうした結果になるのは、「協調性」という非認知スキルのたまものかもしれない。ここでも大事なのは、協調性も、学校時代の勉強(認知スキル)とともに培われているということである。
 汎用能力として取り上げた5つの項目は、認知スキルではなく、非認知スキルを想定した質問である。こうした汎用能力も実験・実習型のカリキュラムと共同体教育からの影響を受けている。この能力は、未知に直面したときにやり遂げる力に対する自信だともいえるので、「自己効力感」の指標だと言い換えられる。
 学業成績が将来の所得に関係ないとすれば、教育無効説になる。学校関係者にはやや悲しい話である。しかし、その一方で、学業成績が将来の所得を向上させるという説も、経済偏重主義のようで、学校関係者にウケが悪い。ウケをよくする教育有効説を考えたわけではないが、認知スキルの学習成果が非認知スキルの向上に重なるという包含関係に着目する意義はあると思う。今回の調査分析から学んだ一つの仮説である。
 
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