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特命教授コラム

 
市場は「高専」をどのように評価しているか
東京工業高等専門学校 特命教授 矢野眞和
2015.07.15


▋揺らぐ「高専」のうわさ

 “イノベーティブ・ジャパン”プロジェクトでは、「高専研究」を一つの柱にしている。工学部を卒業したにもかかわらず、エンジニアになりそこね、「高等教育研究」という文系の研究世界に足を踏み入れて長くなったが、高専についてはほとんど知らない。「高専研究」という任務を拝命している身として恥ずかしいが、高専を知っている高等教育研究者がいないのも事実である。私が体験的に知っているのは、高校3年生の時に第1期の高専が創設され、超人気の学校としてデビューしたことである。入学志願倍率が10倍を超えていた時代だった。そして、大学を卒業して自動車会社に就職した時は、初期高専の卒業生が就職する時期で、彼らと一緒に同じ新入社員研修プログラムを受けた。宿舎で高専卒業生と同部屋になったこともあり、優秀な高専生に驚かされたことをよく覚えている。
 1960年代の華々しいデビューと比較すれば、その後の高専はやや地味目の印象だが、高専卒業生の活躍ぶりを耳にすることは多いし、その活躍ぶりはいくつかの出版物で紹介されている。出版物に登場するのは、そもそも活躍している人だから、高専の平均像とはいえない。しかし、卓越したエンジニアを輩出しているのは、高専が優れた教育的土壌をもっている証だろう。その一方で、素晴らしい高専伝説に反発してか、ネットの書き込みでは、高専の真実を告白するかのように、高専の弱点や悲観的なコメントが流されたりしている。うわさを拾うのは乱暴だが、高専学歴については、「大卒並み」言説と「高卒並み」言説の間を大きく揺れているように思われる。
 ほんとうのところ、高専の教育はどのような特徴をもっているのか。その特徴は、卒業後の仕事にどのような影響を与えているのか。学生時代の学びは卒業後のキャリアとどのように関係しているのか。そもそも「高専教育」は役に立っているのか。こうした素朴な問いを解明するために、高専卒業生の学び体験の記憶と職業キャリアの推移を追跡する「高専卒業生キャリア調査」を実施した(http://www.innovative-kosen.jp/kosenkenkyu/kenkyuinfo/)。卒業生調査はすでにたくさんあるといわれるかもしれない。しかし、高等教育研究と社会調査の専門家の目からみれば、多くの調査は正直もの足らない。高専だけでなく、大学生の卒業生調査も、量的かつ質的に貧困である。日本の大学は、高専とは大きく違って、悪名高いが、だからといって、何らかの証拠に基づいて語られているわけではない。ここでも体験談やうわさが優位な世界になっている。「高専研究」を「大学教育研究」のモデルにしたい。知られていない高専を明らかにするアプローチは、大学教育の実態を浮き彫りにするに有益な研究モデルになると考えている。「高専研究」にそんな思いを込めている。


▋市場の「学歴」評価-「高専研究」ことはじめ

 やや大げさな「高専研究」宣言だが、その成果を逐次に紹介しながら、関係者の批判を仰ぎたいと計画している。まずは「高専研究」ことはじめとして、前々から気になっていた疑問を提起しておきたいと思う。それは、市場による学歴の評価に関する事実についてである。
 教育の成果は、本人に体化し、生涯の資本になる。資本の力はその人の仕事ぶりに現われ、仕事ぶりの評価によって処遇が決まる。評価に対する不満はつねに残るが、さまざまな折り合いと妥協による合理的選択の結果が、仕事の処遇、つまり所得である。したがって、所得の多少は、教育の成果に影響を受ける。わが国ではあまり馴染みのない教育観だが、国際的には広く共有された理論(Human Capital Theory)である。
教育成果の集合体を大きく分類したのが「学歴」である。この学歴と所得の関係については、厚生労働省が詳しい調査を毎年継続的に実施している。『賃金構造基本統計調査』である。そこでは、性、年齢、産業、企業規模、勤続年数、業種別に、学歴別所得が詳しく分かるようになっている。
 男性・産業計の簡単な事例を紹介しておこう(表1)。平成26年6月の給与を12倍し、前年度の賞与を合算した年収になっている。30代の高卒は438万円、高専・短大卒454万円、大学・大学院卒575万円になっている。歳とともに所得が上昇するが、単なる年齢主義による結果ではない。職場の労働経験や教育訓練によってスキルが向上するからである。学校教育と職場の教育訓練の蓄積が、各セルの所得の違いとなって現われる。なお、この報告書の学歴分類は、すべて「中学卒」「高校卒」「高専・短大卒」「大学・大学院卒」の四分類に限定されている。




 この結果を読みながら、いろいろと想像していただきたいが、私たちの日常的観察から推察される所得の平均像は、ほぼこれに近いはずである。普通の人にとっては、特段に珍しい結果だとは思われないかもしれない。しかし、これが常識化しているとしたら、高専関係者は非常に困ったことになる。この集計に異議申し立てをしてもいいはずだが、そのような声を聞いたことはない。
 表によれば、高専・短大カテゴリー(短期グループとする)は、教育年数として高校と大学の中間だが、所得からみた経済的地位は、中間とはいえず、高卒に近いポジションにある。省略したが、女性の場合は様子が異なる。女性の短期グループの所得は、高卒と大卒のほぼ中間に位置する。男性と違って女性は、短期の学校に進学するメリットが大きいのである。短期グループの学生数が女性で占められるのは、こうした経済的理由があるからである。短期グループの経済的地位が、日本の学歴社会の特徴になっている。
 

▋「高専調査」にみる「高専」の市場価値

 短期グループの高専は、大学に近いどころか、高卒に近い。うわさの話に戻せば、高専の「高卒並み」言説に近い。高専関係者は、この報告に納得しないと思うが、男子の短大卒の数は高専よりも少ない。だとすれば、表の平均値は高専の実態に近いかもしれない。しかし、この短期グループには、専門学校(専修学校専門課程)が含まれている。しかも、その数は高専の10倍ほどになる。数からすれば、短期グループを代表する名称は、「高専・短大」ではなく、「専門学校」である。市場の高専評価は、専門学校に埋もれて、行方不明になっている。したがって、膨大な調査報告書の集計は、高専にとって何の役にも立たない情報である。むしろ、誤解を与える情報源になっている。
 ほんとうのところは分からないが、「高専研究」をする立場になれば、放置できない問題である。しかし、政府統計に対抗する情報を収集するのは困難である。最も適切なのは、『賃金構造基本統計調査』の個票データにアクセスして、高専単独の分析をする方法である。もしできれば、高専の50年の活躍ぶりを実証的に追跡できることになる。非常に面白い研究になると思うが、残念ながら、一研究者が個票にアクセスすることはできない。そこで、次善の策として私たちは、「高専卒業生キャリア調査」で平成26年の「年収」を質問することにした。失礼な問いではあるが、キャリアの現状把握として欠かせない情報でもあり、無理をお願いした。ご回答いただいた3408名の方に感謝したいと思う。
 この調査の結果を、高専本科卒だけでなく、大学学部・大学院の卒業別に集計したのが表2である。これを表1と比較すれば分かるように、「表1の高専・短大」が「高卒並み」に近かったのに対して、私たちの調査の高専本科は、「大卒並み」だといえる。アンケート調査による年収データを疑いたくなる気持ちは分かるが、3000人を越えるランダム・サンプルの「平均値」はそれほど大きく揺らがない。信頼性に疑問が残るとしても、表2の本科卒と大学学部卒の差はかなり小さい。それだけ高専本科卒の評価が大卒に近いといえる。表には高卒所得を100にした指数を()内に示しておいた。




▋製造業/大企業の効果-所得のバラツキを遡及する

 調査の誤差に目をつぶっても、高専の事情に明るい方は、表1と表2の比較に無理があると思われるだろう。高専が活躍する職場の主流は、製造業の大企業である。この恵まれた職場に就職できるのが高専のウリになっている。産業全体の平均である表1と恵まれた職場の高専を比較するのは、高専教育の効果なのか、恵まれた産業の効果なのか分からなくなる。産業の効果を教育の効果に含めるのは、高専教育の過大評価になる。この疑問を検討するために、政府統計の製造業・大企業の学歴別年収をみてみよう(表3)。




 全体の平均と比較すれば、いずれのセルでも、100万円から200万円ほど多くなっている。製造業・大企業が恵まれた職場であるのは確かである。高卒と大卒の間の所得格差は産業計よりも縮小しているが、短期グループの学歴は、高卒と大卒の中間よりもかなり高卒に近い。
 これを高専調査の表2と比較すれば、高専の本科卒は表3の短期グループに近くなる。「高専卒の平均」を「製造業・大企業」基準から評価すると、「製造業・大企業」の「大卒」よりも「高卒」に近くなる。しかし、恵まれた階層を基準に高専の平均を評価するのは奇妙である。高専の年収も「製造業・大企業」に限定しなければいけない。その結果を示したのが表4である。



 表の()内には、製造業・大企業の高卒を100にした指数を示した。高専本科卒は、政府統計の「大学・大学院」を若干上回ったりするほどである。その一方で、高専から大学学部、大学院に編入した卒業生の所得はそれほど高くない。しかし、製造業・大企業に限ると進学者のサンプル数が少なくなるので、確かな議論をするのは難しい。進学するメリットがないというような議論はできない。
 大ざっぱな紹介にとどめるが、市場からみた「高専」の評価は、高卒よりもかなり大卒に近いといえそうである。政府統計による誤解を糺しておく必要性は高いと思うが、ここでは、市場による学歴評価の意味と意義を理解いただければ幸いである。
 私たちは、所得の平均値だけに関心があるわけではない。平均は大事だが、それに勝るとも劣らず所得のバラツキに着目する必要がある。産業や規模だけでなく、所得が平均よりも大きくなったり、少なくなったりする原因を探りたいと考えている。とくに関心があるのは教育の効果である。学校時代の学習態度や学業成績は、所得の多少を規定する要因になっているか、さらには、職場での研修や学習の影響はどうか。市場の評価(所得)の背後にある要因を遡及しながら、学習とキャリアの関係を探るアプローチを「高専研究」の一つの切り口にしたいと考えている。
 
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